2026年、『ファイナルファンタジーX』(以下、FF10)が発売25周年を迎えました。
25周年記念くじを引いてグッズを集めていたら、高校生の頃に夢中で遊んだ時間まで、次々と思い出してしまいました。
自分の思い出を文章にしたら、同じゲームを遊んだ人に「懐かしい!」と思ってもらえるかもしれない。
まだ遊んだことがない人にも、僕がなぜこの作品を好きなのか伝わるかもしれない。
そんな気持ちで、この記事を書くことにしました。
これから「思い出のゲーム」シリーズとして、青春時代に遊んだ作品を中心に振り返っていきたいと思います。
ゲームの話を通して、僕がどんな人間なのかも知ってもらえたら嬉しいです。
記念すべき1本目は、ゲームのストーリーってこんなに面白いんだ、と教えてくれた『FF10』です。
FF10とは?ティーダとユウナが「シン」に立ち向かう物語
『FF10』は、2001年にPlayStation 2向けに発売されたRPGです。『ファイナルファンタジー』シリーズの10作目にあたります。
主人公は、ザナルカンドという都市で暮らす青年・ティーダ。
ある出来事をきっかけに、彼は「スピラ」と呼ばれる見知らぬ世界へたどり着きます。
スピラの人々を苦しめているのは、「シン」という巨大な存在。ティーダは、シンを倒すために旅を続ける召喚士・ユウナや、その仲間たちと行動をともにします。
シンを倒すという大きな目的に向かって進む、ティーダとユウナたちの旅。
それが『FF10』の物語の軸です。
一方で、ティーダはスピラについてほとんど何も知りません。彼の目を通して、この世界の風習や歴史、仲間たちの思いを少しずつ知っていくことになります。
2026年には、『FF10』と続編『FF10-2』を収録した『FINAL FANTASY X | X-2 HD Remaster』のNintendo Switch 2版も発売されました。今から初めて遊ぶ人も、久しぶりにスピラを訪れたい人も、Switch 2で両作品を楽しめます。
ここからは、そんな『FF10』に僕がどう出会い、なぜ今も忘れられないのかを話していきます。
980円で買った『FF10-2』が、すべての始まりだった

僕が『FF10』を遊んだのは、発売から何年も経った高校1年生の頃です。
きっかけは、ゲーム屋で続編の『FF10-2』が980円で売られていたことでした。
当時の僕は、ゲームのストーリーよりもシステムを重視するタイプ。
「続編から遊んでも、ゲームとして面白ければ問題ないでしょ」と思い、迷わず購入しました。
ところが、いざ始めてみると、登場人物も世界の状況も『FF10』を知っていることが前提で進んでいきます。
「……これは、さすがに前作から遊んだ方がいいな」
そう思って、すぐに『FF10』を買いに行きました。
980円の続編を手に取らなければ、僕はこの作品に出会っていなかったかもしれません。
ゲームとの縁は、どこに転がっているか分からないものです。
ティーダと一緒にスピラを知るうち、物語から目が離せなくなった
『FF10』を始めてまずよかったのは、物語の目的が分かりやすいことでした。
ティーダとユウナたちは、シンを倒すために旅を続けます。何を目指しているのかがはっきりしているので、当時ストーリー重視のゲームに慣れていなかった僕も、すんなり入り込めました。
その一方で、旅を進めるほど疑問が増えていきます。
ティーダが暮らしていたザナルカンドと、スピラでは遠い昔に滅びたと言われるザナルカンド。同じ名前なのに、いったいどういうことなのか。
ティーダ自身もスピラのことを知らないので、僕が疑問に思ったことを彼も仲間に尋ねてくれます。
ティーダと同じ目線で世界を知っていけるから、初めて聞く言葉が出てきても置いていかれませんでした。
さらに、行方が分からなくなっていたティーダの父・ジェクトもスピラに来ていたことが分かります。
シンを倒す旅の行方が気になる。ティーダの故郷や父親のことも知りたい。
分かりやすい物語だと思っていたのに、先へ進むほど気になることが増えていきました。
南国や東南アジアを思わせる景色も、当時の僕には新鮮でした。
それまで触れてきたRPGには中世ヨーロッパ風の世界が多かったので、スピラを旅すること自体が楽しかったのを覚えています。
ハマった直後に高熱。皆勤賞への道は早々に終わった

ティーダとユウナの旅はどうなるのか。ジェクトはどこで何をしているのか。
ゲームを終えても、頭の中はずっとスピラのことでいっぱいでした。
そんなとき、高熱を出して学校を休むことになりました。
ゲームを遊びたい一心で熱が出た、なんてことはもちろんないのですが、タイミングがあまりにもよすぎます。
しかも僕が通っていたのは工業高校。
卒業後の就職活動では皆勤賞も有利になるから、「3年間休まずに通いましょう」と担任の先生に言われたばかりでした。
その直後に欠席。友人たちにはきっと、「あいつ、休むの早すぎだろ」と思われたはずです笑
皆勤賞への道は早々に途絶えてしまいましたが、今でも『FF10』を思い出すと、あの高校1年生の自分まで一緒によみがえってきます。
高校生の頃は恋愛に夢中。今はジェクトとの親子関係が刺さる
初めて遊んだ頃、僕が一番気になっていたのはティーダとユウナの関係でした。
二人はどうなるんだろう。この旅の先に、幸せな未来はあるんだろうか。
高校生の僕には、その恋愛模様がとにかくまぶしかったです。
有名なキスの場面も、また見たくなりました。ところが1周目では、その直前のセーブデータを残していません。
そこで2周目を遊び、今度は直前でセーブしました。
そこまでして見返したかったんだな、と今では少し笑ってしまいます。
一方、大人になってから振り返ると、ティーダとジェクトの親子関係に強くひかれるようになりました。
旅の途中で見ることができる、ジェクトが残した映像。
ジェクトは決して器用な父親ではないけれど、その言葉や姿からはティーダを思う気持ちが伝わってきます。
ティーダが父親に抱いていた気持ちと、その奥にあったジェクトの思い。年齢を重ねた今は、二人の距離が少しずつ違って見えるんです。
『FF10』といえばティーダとユウナの恋愛を思い浮かべる人も多いでしょう。
もちろん僕にとっても大切な魅力です。でも、今の僕がこの作品を語るなら、ジェクトとティーダの不器用な親子愛を外すことはできません。
考える時間がある戦闘だったから、物語にも集中できた

当時の僕が遊んだコマンドRPGといえば、『ポケモン』や『ペーパーマリオRPG』くらいでした。
そんな僕にとって、『FF10』の戦闘は遊びやすいものでした。
画面にこれからの行動順が表示され、自分の番が来てから落ち着いてコマンドを選べます。
それまでのFFシリーズで多く使われていた、ゲージがたまったら行動するATB方式だと、僕は「早く選ばないと!」と焦ってしまったと思います。
でも『FF10』なら、次に敵が動くのか、味方の順番が来るのかを見ながら考えられる。戦闘で置いていかれず、物語にも集中できました。
2周目になると、敵の特徴や戦い方も少しずつ分かっています。1周目には苦戦した相手に、別の方法で挑んでみる。
知識が増えた分だけ、戦闘の面白さも増していきました。
「聖地のガーディアン」に、力押しを止められた
『FF10』で戦った敵の中でも、今なお名前を覚えているのが「聖地のガーディアン」です。
当時の僕には、困ったときの必勝パターンがありました。
召喚獣を呼び出し、必殺技を次々と撃ち込む。「召喚獣ボンバー」と呼ばれる戦い方を好んでいました。
それまで何度も助けられてきたので、この戦いも大技を連発すれば何とかなると思っていました。
ところが、聖地のガーディアンには通じません。
頑張って体力を削っても、ケアルガで回復されてしまうのです。せっかく大技を撃ったのに、また振り出しに戻されたような気分になる。
「次こそ倒せるだろう」と攻めても、やっぱり倒しきれない。
画面を見ながら、「え、また回復するの?」と焦ったのを覚えています。
そこで初めて、召喚獣の必殺技に頼りきりだった自分の戦い方を見直しました。
敵がどう動くのか。仲間たちをどう使って攻めるのか。ただ強い技を選ぶだけではなく、一手ずつ考えなければ勝てないと感じたのです。
今なら、それこそがコマンドRPGの面白さだと思えます。
でも高校生だった僕にとっては、そんな余裕はありませんでした。これまで頼りにしてきた「召喚獣ボンバー」を止められて、必死に次の手を考えていました。
苦戦したボスはほかにもいたはずです。
それでも聖地のガーディアンを忘れられないのは、力押しが通じない悔しさと、考えて戦う面白さを同時に味わった相手だからだと思います。
ブリッツボールにハマりすぎて、2周目は「アニキ待ち」
『FF10』のミニゲームといえば、ブリッツボールも忘れられません。
水の中で行う、サッカーとハンドボールを合わせたようなスポーツです。
最初は物語の合間に少し遊ぶつもりだったのに、気づけば何度も試合をしていました。
選手をスカウトして、自分のチームを強くできるのも楽しいところ。誰を入れようか考えている時間まで好きでした。
特に覚えているのが、「アニキ」を仲間にしたかったことです。
2周目は、先にほかのチームに取られたら嫌だなと思い、飛空艇でアニキをスカウトできるようになるまで、ブリッツボールを封印していました。
本編の続きを知りたいはずなのに、ミニゲームの選手獲得まで真剣に計画している。
あの頃の僕は、本当にスピラで過ごす時間が好きだったんだと思います。
終わらせたくなくて、ザナルカンドで立ち止まった

『FF10』は、基本的に物語に沿って一つの道を進んでいくゲームです。
広い世界を自由に探索するというよりも、ティーダやユウナたちの旅を追いかけながら、次の目的地へ向かっていく。そのため、一本道のゲームだと評されることもあります。
しかし、当時の僕には、その一本道の構成がちょうどよかったです。
寄り道する場所を探すよりも、とにかく物語の続きを知りたい。新しい場所へ到着するたびに何かが起こり、仲間たちの過去やスピラの真実が少しずつ見えてくる。
「この先で何が待っているんだろう」
そんな気持ちに引っ張られるように、ほとんど迷うことなく先へ進んでいました。
ところが、物語の終盤でザナルカンドへたどり着いた頃、それまでとは反対の感情が生まれます。
旅の目的地として何度も語られてきた場所へ、ついに到着してしまった。ずっと追いかけてきた物語の答えが、もうすぐ分かる。
本来なら、早く先へ進みたくなるはずでした。
それなのに、コントローラーを持つ手が止まりました。
先が知りたい。でも、この旅を終わらせたくない。
ザナルカンドの道中では、BGM「いつか終わる夢」が流れています。
静かで切ない曲を聴きながら歩いていると、ここまで続いてきた旅が本当に終わりへ近づいていることを感じました。ゲームをクリアしたいはずなのに、先へ進むほどティーダやユウナたちとの別れが近づいてしまうようで、なかなか足を前へ動かせなかったのです。
そこで僕は、物語を進める代わりに、同じ場所で何度も戦闘を繰り返しました。
表向きはレベル上げです。しかし今になって振り返ると、キャラクターを強くしたかったというより、『FF10』を遊んでいる時間を少しでも長く引き延ばしたかったのだと思います。
「いつか終わる夢」を聴きながら敵と戦い、また少し進んでは立ち止まる。
物語の結末を知りたい気持ちと、まだ終わってほしくない気持ち。その二つの間を行ったり来たりしながら、ザナルカンドで長い時間を過ごしていました。
その結果、仲間たちは必要以上に強くなり、ラスボス戦ではほとんど苦戦しませんでした。
物語を終わらせたくなくてレベルを上げ続けた結果、最後の戦いを自分で簡単にしてしまったわけです。当時は真剣でしたが、今振り返ると、少し笑ってしまいます。
それでも僕にとっては、ラスボスを倒した瞬間だけが『FF10』の思い出ではありません。
終わらせたくなくてザナルカンドに立ち止まり、同じ音楽を聴きながら何度も戦っていた時間も、この作品に夢中だったからこそ生まれた大切な思い出です。
まとめ|FF10は、ゲームの物語を好きになった原点
高校1年生の僕は、ストーリーはゲームのおまけだと思っていました。
だからこそ、『FF10-2』を980円で買い、続編から始めても平気なつもりでした。
でも『FF10』を遊んで、その考えは変わりました。登場人物の行く先を知りたくて夢中になり、旅が終わるのが惜しくて立ち止まった。
ゲームの物語は、遊び終えた後も、こんなに長く心に残るんだ。
『FF10』は、それを初めて教えてくれた作品です。
25周年の記念くじをきっかけに振り返ってみると、ティーダやユウナのことだけでなく、980円のソフトを手に取った日も、皆勤賞を逃した高校1年生の自分も、鮮明に思い出せました。
これからも「思い出のゲーム」シリーズでは、青春時代に遊んだ作品と、その頃の僕自身について書いていきます。
あなたにも、タイトルを聞くだけで当時の自分まで思い出すゲームはありますか? よかったらXで教えてください。
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『FF10-2』を980円で買ったときは、まさかこれほど長く『FF10』を好きでいるとは思いませんでした。次はどの思い出を書こうかな。
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